【スタッフブログ】永太郎【小学生編1】
みなさんこんにちは。永太郎です。
今回は小学生になってからの永太郎の話です。
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幼少期を過ごしたそこそこ都会の街から移住した先は、永太郎にとっては見ず知らずの土地。
吉幾三さんの歌詞を借りるとしたら、
お店ねぇ♪(廃墟たくさん)映画もねぇ♪(廃墟なら…)
車もそれほど走ってない ♪
バスもねぇ♪(土日運休)都市銀ねぇ♪(たんぼに千葉銀ATM)
田んぼに軽トラぐーるぐる♪(ハクビシンもキョンも…)
隣の駅まで徒歩で90分から2時間くらいかかるような町?にいました。
入学したクラスには地元幼稚園からの繰り上がり28名、転校生2、3名程度。永太郎はしばらく孤立するかと思いきや、2年生までは周囲に溶け込んでいました。ノンケ男子として仲の良かったI君と一緒におかま口調でホゲり倒すネタでふざけていた事もあり、クラスでは不思議くんとして受け入れられていました。
この時ノンケ側として散々ふざけて遊んでいましたが、数年後に永太郎自身がゲイであると自認し苦悩する時期が続くので本当に皮肉であると思います。(次回以降でお話しします。)
低学年の時から障害面では、3つの特性の悪さが目立っていました。
1)短期記憶(現状理解)の悪さ
授業中先生の言葉がわからずひたすら黒板の文字だけを書き連ねていました。が、あまりに書き写すのに時間がかかり過ぎて黒板を先に消されてしまうことが多かったです。クラスメイトのノートを書き写したくても手書きの文字自体を理解することが難しかったです。計算ドリル、漢字ドリルの内容も「書く行為」自体もあの頃は謎に思えていました。
遊びの面で言えば、野球、サッカー、缶蹴り、鬼ごっこなど集団で遊ぶことが出来ませんでした。ルール理解、敵味方のボジションなど永太郎の短期記憶の無さではどれも同時に情報の理解が追いつきませんでした。ゲーム機もとことん苦手で、当時の”64”コントローラーが複雑すぎて画面を見て操作ができませんでした。同年代の子たちができる”遊び”が何一つできない状況が続き、遊べる友達がだんだんと居なくなりました。
2)衝動性、多動性
授業中じっとすることが出来なかったので貧乏ゆすりや、急に立ち上がったり、先生から指されていないのに勝手に発言し困らせたり、関係ない教科書を広げてそもそも授業に無関心だったりしました。体育館で行われた1年生歓迎会の時もステージ上の先輩が「楽しかったですか?」と投げかけた言葉に永太郎が「つまんない!」と大声で叫んでしまい、体育館全体がどよめいたことがありました。担任の先生に怒鳴られた記憶もまだ鮮明に残っています…その後、教室で一人だけ立たされて30分近い説教タイムがありました。
3)不注意、その他
また、他人と自分のものの所有物の区別があまりついていなかったようで、いつの間にか他人の計算ドリや教科書を自分で使ってました。先生に「教科書の名前が違う」と指摘されてもなぜ、自分が持っているのかが理解できていませんでした。提出物も出しそびれることも多かったですね。あと、とにかく授業や遊びでも予定外のことが起こるととにかくテンパっていました。給食当番の時もなんどもカレーやスープをひっくり返し…。毎回通信簿には「落ち着いて行動できない」と書かれていました。
とはいえ2年生までは特性を散らしながらもなんとか過ごせていましたが、I君が2年生の後半で突然転校してしまってから状況が一変します。
I君は当時の永太郎の家のようにテレビゲームを一切持たず、そこまで外遊びをしない子だったので永太郎の障害特性的にもウマが合う子でした。ですがI君という、唯一の理解者がいなくなってしまい誰も遊びに誘われなくなり孤立化。たまに遊びに誘ってくれる優しい人がいても永太郎自身が特性的に一人だけ苦しむことが多かったので、心の安定を求めて孤立を選ぶようになりました。
3年生になった時、クラスに転入生が加わり状況が悪化します…
続きは【小学生編2】へ
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